農家を継ぐ意思
「将来は、自分の好きなようにしろ」といっていた父・喜八さんだったが、高校を卒業と同時に農業を継ごうと思っていた和喜さん。後を継ぐ意思を伝えると、滋賀県にある「タキイ研究農場附属園芸専門学校に行け」といわれた。授業がほぼ実習で栽培方法はもちろん、農業をする体作り、心得も教わり、農業の基礎を2年間学び、21歳のときに就農しました。
作業効率の向上
西坂家では、和喜さんが就農する以前からダイコン、カブ、シロウリ、米を生産してきた。特に、春ダイコン「善太郎だいこん」については父親世代が栽培技術を確立、ブランド化させた。
ダイコンの出荷量が増加するにつれ、「もっと作業がはかどる機械がないか」と考えるようになった。機械メーカーと試行錯誤し、別々に行っていた作業を、1つの機械で一連の作業ができる機械が考案された。専用の機械は、だいこん部会全員が導入し、作業の効率化を図り、生産量を増やした。
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